クリエイティブ

アクティブに生きる私の人生そのものを、アヴァンギャルドに表現していきたい。

ファッションモデル&クリエイター 山城 奈々 (やましろ なな)

Profile
1988年 埼玉県生まれ。中学時代に渋谷の109でスカウトされモデルを始める。中高時代は、ヤマンバギャルとして、サークルの総代表やギャルをプロデュースする会社の立ち上げに参画。18歳の時に大手芸能事務所に所属し、モデルや女優として、映画やドラマに出演。2012年 24歳の時にデザイン専門学校に入学。その後、心理学の学校に通ったり、習い事をしたり、アパレル会社のプレスやライターなど様々なことに取り組む。2016年 27歳の時にファッションモデルに復帰。モデル業では、同年 パリコレクションに参加。帰国後、日本でもコレクションのモデルを中心に数々の仕事を行う。クリエイターとしては、2018年にグラフィックデザインをメインとしたライフスタイルブランド「PARALLEL Avant-garde Lab(パラレルアヴァンギャルドラボ)」を立ち上げ、ファッションやグッズの制作、さらには企業とのコラボレーションなどを手がける。モットーは「いつまでもアヴァンギャルドな人生を」。

ファッションモデルとクリエイター、二足のわらじで活動する山城奈々さん。2016年にパリコレクションに始めて参加し、その後、東京コレクションなど数々のコレクションに参加。現在は、東京を軸に海外にも拠点を置くなどして仕事を続けています。また、クリエイターとしては、2018年に「PARALLEL Avant-garde Lab(パラレルアヴァンギャルドラボ)」という自身初のライフスタイルブランドを立ち上げ、アパレルやグッズ制作の他に、企業とのコラボレーションも積極的に展開。そんな彼女、10代の頃はヤマンバギャルやロリータとしてモデルやタレント業にいそしんでいたんだとか。異色の経歴を持つ山城さんに、モデル&クリエイターになるキッカケや、2つの仕事の現在、そしてこれからについて伺いました。

 

“中高生の頃はヤマンバギャルとして、サークルの総代表やギャル会社の立ち上げ、さらにモデルにタレントと、毎日、楽しく過ごしていました。”

―モデルはいつから始められたのですか?

中学2年の時に渋谷の109の前でスカウトされたのが、モデルを始めたキッカケです。当時からギャルっぽいメイクは好きだったのですが、次第にエスカレートして、ヤマンバギャルになりました(笑)。雑誌のモデルをこなしたり、サークルの総代表をやったり、ギャルの会社をつくったりと、とにかくアクティブに動き回っていましたね。埼玉が実家なのですが、家に帰ることはほとんどなくて、渋谷にずっと居るか、友達の家に寝泊まりするような生活を続けていましたよ。ギャル活動を優先するために、高校も普通科から定時制に変えるほど(笑)。

― すごい。ギャルの会社ではどんなことをしていたのですか?

プロデューサー的な立ち位置で、ギャルになりたい女の子たちをコーディネートしていました。あとは「渋谷ギャルツアー」というのを行なっていて、密着取材を受けたり、いろんなメディアに取り上げていただいたりしていました。モデルもですが、タレント業もこの時期は多かったですね。

―ギャルの魅力ってなんでしょう?

着飾るのが楽しかったんですよね。素の自分とはかけ離れたファッションやメイクをすることで、自己表現ができていた気がします。別の人を演じるのが好きだったんでしょうね。

―ヤマンバギャルはいつまで続けたのですか?

高校3年まで続けていました。そして、その後の1年間はロリータをしていた時期もありました(笑)。リボンがたくさんついた、全身ピンクや白のフリフリの衣装に日傘をさしていましたよ。でも18歳の時に、大手芸能事務所に所属することが決まって、事務所的に「その格好はNG」と言われ、落ち着いていきました。事務所にいた頃は、赤文字系のモデルやタレントとして、映画やドラマにも出演していました。

“変わり者扱いされていた小学生時代。そんな中、絵を描くことが私の救いになっていました。”

―山城さんはモデルだけでなく、デザイナーとしても活動されていますが、そのキッカケはなんだったのですか?

小学生の頃から、集団行動や規律を守ることがとにかく苦手で、家族や先生からも「なんで普通にできないんだ」って心配されて育ってきました。でも、絵を描くことだけは大好きで、夢中になっていました。私の中で救いになっていましたね。中高生では、先ほども言った通り、ギャルの活動が忙しくて、その気持ちを忘れていたのですが、20歳を過ぎたあたりから、デザインの勉強をしてみたいという気持ちが強くなっていきました。

フィンランドのマリメッコというブランドの総柄に出合ってから、影響を受け、自分もこんなデザインがしてみたいと思ったことも大きかったです。ちょうど大手芸能事務所も辞めていたので、デザインの専門学校に入学。そこでは、デザインの基礎的な知識やスキルはもちろん、深く思考してカタチにすること、そして細部までつき詰める粘り強さを学びましたね。

―20代前半はどんな期間でしたか?

デザインの専門学校の他にも、心理学の学校に通ったり、お花を習ったり、アパレルの会社でプレスをしたり、ライターをやったり、20歳から25歳くらいまでは、とにかくいろいろ動いていました。モデルに対しての熱量も消えてしまって、迷っていたんだと思います。あとは、好きな人ができて、恋愛に走ったのもこの時期だったんですよね。「こんなに人を好きになれるんだ」っていうくらい彼を好きになって、結局、3年ほど付き合ってお別れすることにはなるのですが、彼のおかげで人生が豊かになったと思います。

“27歳の時に、パリコレに参加。モデルから一度離れたことで、モデルの本当の楽しさに気づきました。”

― 迷いの時期を経て、再びモデルに復帰するのですね。

そうですね。ギャルの頃そうだったように、自分の名前を世の中に広めて、稼いでいきたいという熱量が再び戻ってきました。それで、思い立って27歳の時にパリとミラノに行きました。コレクションのモデルとして挑戦しようと考えたんです。でも、現地のさまざまな事務所にアプローチしたものの、言葉はままならないし、作品集も作り込んでいなかったので、全然ダメでしたね……。

準備不足を痛感しました。ですから、翌年は、しっかりリサーチして覚悟を持って再チャレンジ。運も味方してくれて、日本の某ブランドのモデルとして採用され、パリコレのランウェイを歩くことが叶いました。帰国後は、コレクションのモデルを中心に、お仕事をさせていただいています。今はモデルのお仕事が楽しいですし、充実しています。モデルを一度離れたからこそわかったことかもしれません。

 

“歩き方、姿勢、仕草。人から見られている意識をつねに持つこと。そして、心と体の健康を維持するために自分と向き合う時間を作ります。”

―モデルとして心がけていることも教えてください。

「私はモデルである」という意識をつねに持つ。寝ても覚めてもそれを絶対に忘れません。例えば、街を歩いていても、人から見られていると自覚し、姿勢や歩き方には気をつけます。人と会話をする時も、仕草に気を配っています。また撮影の際は、自分と会話しながらやっていますね。「私は今どう考えているんだろう」という問いかけを何度もして、そこで出た答えを瞬時に、ポーズや表情にしてアウトプットする感じですね。あとは表情がワンパターンにならないように表現のバリエーションを増やすように工夫しています。

ー他にもありますか?

モデルは孤独な仕事なので、メンタルをやられる方が結構多いんです。ですから、私の場合は、自分と対話をする時間を意識的に作るようにはしていますね。2、3日引きこもり、情報を遮断して、大好きな音楽を聴きながら、心の中を整理します。また、日常生活でも、毎朝、コーヒーを淹れて飲むことを欠かしません。ちょっとしたことですが、暮らしを丁寧にするだけで、心に余白が生まれ、モデルとしての受け皿が広がっていくと思うんです。

 

“ 「自由にやっていいよ」は期待の裏返し。だから、クリエイターとして求められる結果をしっかり出して、喜んでもらいたい。”

―現在、クリエイターとしても精力的に動かれていますよね。

今は、デザインの領域でもお仕事をいただく機会が増えてきました。2018年にはグラフィックデザインをメインとしたライフスタイルブランド「PARALLEL Avant-garde Lab(パラレルアヴァンギャルドラボ)」を立ち上げて、服やグッズを制作しています。ありがたいことに「山城さんの思うようにやってみて」と企業から声をかけていただき、コラボ商品なども手がけさせていただいています。また最近では、個人的な依頼で、フレンチトーストで有名な“パンとエスプレッソと”さんの周年グッズのデザインにも携わらせていただきました。これは私の中でとてもいい経験になりました。

ただ「自由にやっていいよ」というのは、私への期待の裏返しだと思っているので、その期待にはきちんと応えていきたいですね。「良いね。応援してるよ」とか「素敵な作品だね」などと周囲から評価された時は、単純に嬉しいですし、モチベーションにつながります。あと最近、思ったんですが、「モデル」と「クリエイター」、この2つを行うことで、私の中で精神的にバランスが取れているんだと思います。両輪がうまく回っているような感覚です。モデルとしては、カメレオンのように求められる像に瞬時に変わる。クリエイターとしては、デザインを通して、私の心の中を表現する。今は、そのどちらの活動が欠けてもダメですね。

 

 

“私というブランドをもっと確立させて、自立した生活と大切な人を守れる強さを手に入れたいです。”

―これからどんな活動をされていきますか?

27歳前後から、モデルとしてもクリエイターとしても本気で活動を始めて、いろんな人との出会いやつながりを通して、面白い経験をたくさんさせていただいています。今後の目標は、東京オリンピックがある2020年までには2つの活動の基盤を盤石することです。加えて、2020年前後に、新たにプロジェクトを始めるので、二足のわらじならぬ、三足のわらじ(笑)で頑張っていきたいですね。人って自分に甘くなりがちです。私もそうなので、あと2年というタイムリミットを設けて、危機感を持ちつつも、とにかく楽しんでやっていきたいです。「稼ぐ」って、あんまり良いイメージを持たれないかもしれませんが、生活力があるというのは、他人に依存しないで済んだり、大切な人を守ることにつながると思うんです。だから、私というブランドをしっかり確立させることに注力していきたいんです。

 

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〈取材・文:寺門常幸(@tera_tsune)/撮影:宇佐美亮(@usamiryo)〉

 

 

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