クリエイティブ

時に繊細に、時にコミカルに。アーティストの新たな魅力、意外な一面を、映し出していきたい。

映像ディレクター 田中 のぞみ (たなか のぞみ)

Profile
1982年・東京都生まれ。高校卒業後、アメリカに渡りワシントン州のPierce Collegeで映像表現を学ぶ、2002年に同大学を卒業し、都内の映像制作会社OMBに所属。2012年にNHK・Eテレ 『青山ワンセグ開発』で、自身が企画・演出した「おかっぱちゃん旅に出る」が視聴者投票で優勝。 のち、NHK Eテレでレギュラー化される。2013年よりディレクター集団、東京No.1 エンターテインメントに所属しながらフリーランスの映像ディレクターとして活動をスタート。現在はミュージックビデオを中心に、ドキュメンタリーやテレビ番組、TVCMと様々な映像のディレクションを手がけている。代表作にAKB48、TOKIO、NHK Eテレ番組など多数。

楽曲の世界観を広げる。アーティストの新たな一面を映し出す。そんな役割を担うミュージックビデオは、YouTubeなどの動画配信サービスの定着によって、アーティストにとっても、楽曲を聴くファンにとっても、いまや、欠かせないものになっています。今回ご紹介する田中のぞみさんは、東京 No.1エンターテイメントというクリエイティブ集団に所属し、フリーランスとして活動する映像ディレクター。田中さんは、数々のメジャーアーティストやアイドルグループのミュージックビデオの制作を手がけており、現在は、TV番組やTVCMなどの企画・演出も行うなど、その活躍の場を確実に広げられています。そんな彼女に、ミュージックビデオのお仕事の話を中心に、若手の頃の話や、これから社会に出る学生に向けてのメッセージなどいろいろなことを伺いました。


“遊び半分で動画を撮って編集したら、部活のメンバーが笑ってくれて楽しかったんです。”

―はじめに田中さんの映像制作の原体験を教えてください。

高校生の時です。私は少林寺拳法部に所属していて、全国大会で入賞するほど打ち込んでいました。部活では年に1度、合宿があって、そこで練習中の風景を撮影したんです。記録用としてカメラを回したのですが、その映像を「ショーリンジャー」という架空の戦隊ヒーローものの設定で遊び半分で編集して、メンバーに観せたらとてもウケて(笑)。高校生だし仲間内のネタだから、なにをやっても笑えたというのはあったかと思うのですが、それでもみんなが私の作った映像に興味をもってくれて、楽しさを共有できたというのは、映像制作をめざす大きなキッカケですね。あとは、私の姉が邦画好きで、メジャーな作品だけでなく単館上映のマイナーな作品まで観るくらいの熱中ぶりでした。自宅でもしょっちゅう映画鑑賞をしていたので、それを横目でみていた私は「あ、映画を撮るって面白いかも」と漠然とですが思っていたような気がします。

―なるほど。2つのキッカケがあったのですね。では高校卒業後は美大、もしくは専門学校に進まれるのですか?

美大に行きたくて双子の姉と一緒に受験したのですが、二人とも落ちてしまいました……。姉は浪人して第一志望の美大をもう一度受験することに。一方で私は、一日も早く実践的な勉強がしたかったので、浪人という選択肢はありませんでした。色々調べてみると、アメリカの公立大学、つまり2年制のコミュニティ・カレッジであれば、映像の勉強もできるし私立大に比べれば学費も高くない。なので、両親を説得し、ワシントン州のピアスカレッジに入学することにしました。

“アメリカでの学生時代、ミュージックビデオの制作が職業として成立していることを初めて知りました。”


―アメリカの大学ではどんな学びがありましたか?

撮り方、編集の仕方、表現法など映像に関するあらゆることを吸収しました。人生で一番勉強した時期です(笑)。ひとつ印象に残っている出来事があって、ある授業で3分間の映像を制作するという課題が出されたんです。私は、ネイティブに比べると英語力がなかったので、言葉ではなくボディランゲージを主体に音楽をのせて映像を構成しました。先生に提出すると「ミュージックビデオっぽいね。そういう仕事があるのは知っている?」と言われたんです。もちろんミュージックビデオの存在は知っていましたが、それが職業として成り立っているなんて考えたこともなかったので、もしかしたら私は、映画やテレビ番組などよりもミュージックビデオの現場が向いているかもしれないなとこの時思ったんです。それで、アメリカでの学生生活を終えてからは、日本に帰国し、ミュージックビデオを制作している都内の会社に就職。2004年から社会人生活がスタートしました。

“若手の頃は仕事ができずに自信喪失……。でも、NHK Eテレの映像コンテスト番組に優勝できたことで、ようやく光がみえました。”

―映像制作会社ではどのようなことをされていたんですか?

アシスタントディレクター(AD)として映像制作に関わる段取りや雑務などなんでもやりました。ディレクターになるためには基本的にADを経験しなくてはいけないので。私、帰国前は仕事ができる人間だと思っていたんです。アメリカで勉強してきたというのもあって、根拠のない自信に満ちていたんですよね(笑)。でも実際、現場で働いてみると今まで自分が勉強してきたことなんてほとんど通用しなかったんです……。学校の勉強と仕事では求められるレベルが全然違いました。映像の企画やアイデアを考えて、先輩や上司に見せるのですが、思うように評価されない日々が続いて……。どんどん自信を失っていきました。否定されるとモチベーションも下がってしまい、完全に負のスパイラルに陥っていましたね。あの頃の私は自分のセンスも信じられなくなっていて、堂々と意見を言うことが怖くなっていたんです。


―辛い時期ですね……。そこから抜け出すキッカケは何かあったのでしょうか?

しんどかったですけど4、5年続けていると、同世代の仕事仲間が、徐々に責任ある仕事を任されるようになっていって、私も負けていられないと思いました。また、そんな時にNHK Eテレで、映像企画を考えてプレゼンテーションするというコンテスト形式の番組があったんです。優勝したらレギュラー番組を1本任せてもらえるという。その番組に脚本家とプロデューサーをしている友だち3人で挑戦しようということになりました。それまで仕事上では、自分の意見を伝えるにしてもどこか遠慮気味だったのですが、友だちと企画を出し合ったり議論したりするのは心から楽しくて。休日返上で、夜な夜な笹塚の居酒屋に集まり、朝まで企画会議をしていました。私自身、自由な発想でアイデアを出せたし、ディレクターとして本当に面白いと感じる企画を追求できたんです。楽しんで作ったことが功を奏したのか、その番組で優勝することができました。『おかっぱちゃん旅に出る』というアニメで、NHK Eテレで2012年に放送されたんです。初めてレギュラー番組、しかもNHK Eテレ。今、見返すと「もっとこうしておけば良かったな」と反省点はあるにはあるのですが、なにせレギュラー番組だったために、1番組分を納品してもすぐに次の番組分を納品しなくてはいけない……。締切に追われたあの時期はとにかくがむしゃらで、今でもたまに夢に出てくるくらいなんです(笑)。でもそれだけ前のめりで頑張れていた。


そしてこの辺りから仕事のスタンスにも変化が出てきました。以前はスタッフや上司に否定されると、その言葉を鵜呑みにして「ああ、やっぱり自分はダメなんだ」とネガティブになるばかりだったのですが、精一杯考え抜いた末に生み出した企画であれば、まずはその企画を自分が信じてあげなければダメだと思うようになったんです。だから周囲に「面白くないよ」と言われても「わかってないなー」と心の中で良い意味で開き直れるようになったんです。ただ、ここでもう一つ大きな出来事が起きます。それはコンテストに応募した同じタイミングで、当時所属していた制作会社の解散が決まったこと。NHK Eテレの番組で優勝できたおかげもあってディレクターとしてのお仕事も少しずついただけるようになっていたので、東京No.1エンターテイメントというクリエイター集団に所属することに決め、フリーランスの映像ディレクターとしての歩みを始めました。32歳の頃だったと思います。

“映像ディレクターとして、主張と判断はしっかりと。そして、スタッフを信頼して任せることも大切に。”

―ミュージックビデオのディレクターというのは、具体的にはどのような仕事なのでしょうか?

アーティストの曲に合った映像を企画し、撮影の演出と監督を務め、編集をしてひとつの作品を完成させます。テレビ番組だと演出家が別にいますしCMであれば映像のアイデアを考えるプランナーがいます。ですがミュージックビデオの場合、ディレクターに求められる役割は多岐にわたりますね。

―では、仕事の流れについてもお聞かせください。

依頼を受けたアーティストや事務所から、今回の曲ではこのような映像を撮りたい、こんなロケ地にしたいとある程度指定がある場合と、完全に私にお任せしていただける2パターンがあります。どちらにしてもまずは、アーティストや曲の魅力をより引き出すことを第一に、映像の骨子となるアイデアを考え、コンテに落とし込んで、アーティストサイドとプロデューサーなどと打ち合わせをします。案が決まったら、カメラマンさんや照明さん、美術さんなど、制作スタッフのチーム編成をし、撮影に向けて彼らと打ち合わせを重ねます。撮影が終わったら、編集作業をして完成。企画立案から編集を終えるまでは、作品によっても異なりますが、大体1ヶ月〜2ヶ月くらいかかりますね。

―さまざまなスタッフがひとつになってミュージックビデオを作る。その中で田中さんは舵取り役でもあるのですよね?

監督なので現場を仕切らないといけない。そういう意味では舵取り役でもあります。でも私はそこまでいろんな知識がある方ではないので、結構、スタッフに任せてしまいます。「こういう映像を撮りたい」「こんな感じの照明にしたい」と感覚でものごとを伝えても、私の信頼しているスタッフさんは、その道のプロなので1で伝えたことを10にして返してくれるんですよね。なので、本当に周りに助けられていると思います。ただ、判断を下すのはディレクターの役目。ですから「このテイクでOKです」「このカットはいりません」などの主張ははっきりするようにしています。あとは、スタッフに企画を見せて「?」と感じさせてしまっても「この演出、面白いんですよ!だから一度やってみましょう。お願いします!」と自分が信じたことに関しては、ちょっと強引かもしれないけれど、なるべくトライします。昔は周囲に気を遣い過ぎてしまうことも多かったのですが、それだと逆に、周りを迷わせてしまい、現場の士気も下がってしまう。であれば、たとえ心の中では自信がなくても、少しわがままになっても、エイヤッ!!と思い切って決断することは、ディレクターにとって大切な資質だと考えています。スタッフのみなさんは、私のキャラクターを理解してくださっているので、私のこだわりにとことん付き合ってくださいます。そういう意味では、本当に恵まれていますし、感謝ですね。


“「アーティストのこんな一面が見られたら面白いだろうな」。そんな妄想を映像に落とし込むのが私の個性だと思います。”


―ミュージックビデオで肝になる、映像のアイデアはどのように発想するのでしょうか。やはり曲がヒントになるのでしょうか?

もちろん楽曲を聴きこむのは大前提です。そこから映像のアイデアが湧いてくるので。あと私の場合は、アーティストが「こんな仕草をしたら面白いだろうな」とか「こんな表情を見てみたいな」という願望から想像を膨らませる場合が多いかもしれません。ミーハーかもしれませんが、そういう気持ちってファンの方も望んでいることが結構多いので大切にしています。例えば、あるダンスグループのソロ名義作品で、その男性アーティストに焼き芋を持って走ってもらいたいなと思ったんです(笑)。ストーリー仕立ての映像なんですが、待ち合わせをしている恋人に会いに行くために街を走っていると、焼き芋屋のおばちゃんが、芋を道に撒き散らして困っている。おばちゃんを助けてあげた彼は、お礼に紙袋一杯の焼き芋をもらう。結局彼は、彼女へのプレゼントだけでなく焼き芋も抱えて走る羽目になるんですけど、そういったちょっとした工夫が映像のアクセントになって、観る人を飽きさせないんですよね。



スタッフにアイデアを見せた時は「風船の方がいいんじゃないでしょうか?」という意見も出たのですが、それだとちょっとストレートというか王道だなと。そのアーティストは端正な容姿なので、風船を持っても意外性がないんです。一方で焼き芋を持っていれば、ちょっとコミカルで彼の可愛らしい一面が引き出せるのではないかと考えました。私は基本的にクライアントのオーダーには100%応えたいですし、オーダーを具現化するのがプロだと考えています。女の子のアイドルグループであれば、メンバーの顔を可愛く撮って、たくさん観せることは必要な場合が多いですからね。でも、私に依頼していただいた以上は、私だからできる演出も要所で散りばめていきたい。先ほどの焼き芋の例もそうですけど、私の個性はちょっとコミカルだったりシュールだったりする演出だと思っています。アメリカの大学で映像を学んでいた頃も、物静かな日本人という印象とは裏腹に、企画する映像は皮肉ったり少しとぼけたりするものが多かったんですよね。

“どこまで粘って考えられるか。それがクリエイターとして活躍していくためには、絶対に必要です。”

―映像作家として、また日々、働く上で大切にしていることがあれば教えていただきたいです。

おかげさまで、現在はコンスタントにお仕事をいただけています。ただどんなに忙しくても、一つひとつの楽曲に真摯に向き合うことは忘れないようにしています。制作会社に勤務していた時、初めてディレクターを任せていただいた仕事で、先輩ディレクターにかけられた言葉が今でも忘れられません。その先輩に編集したMVを見せると「面白いけど、田中がOKを出した時点でOKだから。田中が満足しちゃったら、そこで終わりだからね」と諭されたんです。自信を持って編集していただけに悔しくて泣いてしまいました。


でもそこからさらに粘って考えて、編集し直して、数日後にもう一度先輩に提出したら「そうそう、そういうことだよ」と言っていただけたんです。プロとしてやっていくには、どれだけ自分に厳しくできるかが大事なんだなって、その時、理解しました。フリーランスになってからなおさら、先輩の言葉が身にしみます。だって叱ってくれる上司も教えてくれる先輩もいないわけですから、いくらでも自分を甘やかせてしまいますよね。だから、どこまで粘れるかがクリエイターとしての生命線だと思っています。

“どんなに忙しくても、作り続けてほしい。きっと誰かが見ていてくれるはずだから。”

―最後にフリーランスを志す人やこれから社会に出る学生さんなどにメッセージをお願いします。

私はAD時代、ほんとうに仕事ができずダメダメでした……。たくさん叱られましたし、落ち込みましたし、泣きました(笑)。ただ「ディレクターとして一人前になってやる」という強い想いだけは持ち続けたんです。だから辛くてもなんとか頑張ってこられました。当たり前かもしれませんが、あきらめずに続けていれば光が射し込む瞬間は必ずやってきます。今の時代、すぐに脚光を浴びたいという若い方が多い気がするのですが、人生には暗いトンネルの期間も必要だと個人的には思うんです。


あともう一つお伝えしたいことがあります。どんなに忙しくてもクリエイターであれば、時間をみつけて制作に励んでほしいです。今はSNSでいくらでも発信できますし、賞に応募してみるのもいいですよね。私もNHK Eテレのコンテスト番組がひとつのキッカケになって監督として独り立ちできましたし、もっと若い時も、アーティストの友だちのミュージックビデオをよく一人で創作していました。コツコツ作り続けていると「こいつは何か変なことをやっているな」「何かを創りたいんだな」と周りから面白がってくれて、「じゃあ今度、これを任せてみよう」という依頼に繋がるかもしれません。ですから、若い時こそ拙くてもいいのでどんどん創作してください。そして、なにより楽しんでアイデアを広げていってください。

 

 

◎田中のぞみさんのWEBサイトはこちら

 


〈取材・文:寺門常幸/撮影:宇佐美亮〉

 

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