シャルキトゥリー モエ

シャルキュトゥリーは日常食だから。毎日食べたくなる、やさしい味を、いつまでも探求していきたい。

シャルキトゥリー モエ 中川 萌 (なかがわ もえ)

Profile
1982年、東京都生まれ、三重県出身。高校卒業後、精肉店で働き、その3年後に岐阜県・飛騨高山にあるシャルキュトゥリー「キュルノンチュエ」で修行。2005年にフランスに渡り、1年間、フランス南部にあるシャルキュトゥリーで修行。帰国後は、紀伊国屋の食肉加工工場に勤務し、日本人の舌に合う、自然なハムの味を追求。2010年、29歳の時に、東京都・東久留米市にて自身のお店、シャルキュトゥリー モエをオープン。地元はもちろん、遠方から訪れる「モエ」ファンも多数。

シャルキトゥリー モエ:東京都 東久留米市 滝山7-17-24-103 [TEL・FAX]042-474-9250 [営業時間]11:00〜19:00(火曜定休)

ハムやウインナーといえば、ドイツをイメージする方が多いかもしれません。でも、そのお隣の国フランスでも、食肉加工は「シャルキュトゥリー」と呼ばれ、何千年も前から、盛んに行われてきました。ビールのおつまみとして単品で食べるドイツに対し、フランスでは、料理の食材の一つとして使われる場合が多く、「日常食」として親しまれています。そして、そんなフランスの食肉加工に魅せられたのが、東京都・東久留米市で「シャルキュトゥリー モエ」を営む、中川萌さんです。20代前半に、飛騨高山にあるお店で修行した後、本場フランスでも修行を経験。2010年、29歳の時に、ご自身のお店をオープンさせました。今回、「モエ」にお邪魔して、修行時代のこと、シャルキュトゥリーのこと、お店のことなど、いろいろなことを語っていただきました。お話してくれた中川さんは、終始、目をきらきらと輝かせており、少年のようにピュアな気持ちで、ハムと向き合っていることが、まっすぐに伝わってきました。

 

“一つのことを極める「職人」を夢見た小学生時代。”

―幼い頃から、食べることや料理は好きだったのですか?

食べることよりも、作ることを生業にしている職人さんに憧れを抱いていました。小学生の頃なんかも、学校の掲示板に貼り出されている、日本刀の職人さんとか、和菓子の職人さんなどの職業紹介の内容にとくに惹かれていて、一つのことを一生かけて追求する美しさのようなものを、幼心ながらに感じていたんだと思います。

でも、職人になりたいといっても、具体的に何の職人になるのかは、なかなか決まらなかったんです(笑)。ようやく高校生の時でしょうか、進路を決めなきゃいけないとなって、進学は考えていなかったので、それだったら、家の近所に精肉屋さんがあるから、そこで働いてみようと考え、就職しました。

 

“フランスの食肉加工「シャルキュトゥリー」に出合って、一生の仕事にしたいと心が動かされました。”

―最初は精肉屋さんだったのですね。そのお店ではどんなお仕事をされていましたか?

お肉というのは、まず豚や牛などを「と畜場」というところで、と畜して枝肉という塊のお肉にするんです。ただ塊のままではお客さまには提供できないので、そこから骨を抜いて、モモ、バラ、ウデなどに分類する作業が必要です。これは「脱骨」という仕事なのですが、僕はそれを3年ほど続けました。

ただ、3年も働いていると、この仕事の限界を感じるようになっていって……。どうしても同じ作業の繰り返しになってしまうので、物足りなさがあったんだと思います。パン屋になろうか、レストランの料理人になろうかと、これからについて悩んでいた時に、新聞のある記事に目がとまりました。岐阜県の飛騨高山にあるハム屋さんの紹介記事でした。それを読んだ時に「これだ!」とピンときたんです。

―どのようなところが良いと思ったのですか?

ハムやソーセージって、ドイツのイメージがあると思うのですが、飛騨高山のお店は日本では珍しいフランス流の食肉加工をするハム屋さんでした。フランスでは「シャルキュトゥリー」といいます。お菓子を「パティスリー」、パンを「ブーランジュリー」というのと同じです。フランスといえば、フランス料理が思い浮かぶと思うのですが、そのフランス料理の一角をなすシャルキュトゥリーということで、奥深さを感じ、生涯をかけて追求できる仕事だと思えたんです。


―では飛騨高山のお店で修行を始められるわけですね?

当時、僕は三重に住んでいて、飛騨高山のお店まで出向いて「修行させてください!」と直談判しましたが、なかなかOKを出してもらえなかったんです……。でも、僕はシャルキュトゥリーがやりたいと心に決めてしまっていたので、毎月1度はそのお店に通って、修行のお願いをし続けました。思いが通じたのか、半年後にようやく店主からOKがもらえて修行ができることに。

―修行生活はいかがでしたか?

1年目は給料なしという条件で働いたんです。生活していくのはもちろん、精神的にもキツかったですね(笑)。でも、店主のつくるハムは「本物」だと感じていたので、意地でもついていって、いろんなことを吸収してやろうと考えていました。一般的なハムやソーセージは化学調味料を使用して味付けをするのですが、そこのお店は化学調味料を使わないことをポリシーとしていて、店主は、調味料の力を借りるなんて、肉本来の味を引き出せていない証拠だと主張をする方でした。僕も若かったこともあって、そんな尖った部分に、不思議と魅力を感じましたね。そのお店では3年ほど修行をしたのですが、シャルキュトゥリーを追求すればするほど、本場で勉強したいという思いが強くなって、2005年にフランスに渡りました。

 

“本場フランスで修行。シャルキュトゥリーの歴史、風土、文化、人間性を肌で感じ、より自由につくるようになりました。”

―修行先も決めずにフランスに行ったのですか?

そうですね、完全に勢いでした(笑)。ただ、友人のシェフの知り合いに、フランスでパティシエの修行をしている方がいるというのを聞き、その方を頼りにして、さらにその方から、シャルキュトゥリーに詳しいフランス人を紹介していただき、最終的に、フランス南部のピレネー山脈の麓にあるアルジュレスガゾスという小さな田舎町に行き着きました。ピエール・サジューさんという方のお店で修行させていただけることになったんです。フランス語もほとんどわからない、しかもアジア人ということで、変わった目で見られましたが、お店の人も、街の人もあたたかくて、いろいろサポートしていただきました。

―実際に本場で学ばれてみて、いかがでしたか?

シャルキュトゥリーは何千年もの歴史があります。歴史の中で育くまれてきた文化や風土、そして人間性を、肌で感じられたことは、本当に良かったです。渡仏前も、ネットや書籍から、シャルキュトゥリーの歴史などは学んでいたのですが、百聞は一見にしかずでしたね。また、日本だとフランス料理自体が、特別な日に食べるものというイメージが根付いていると思いますし、僕自身も「こうあるべき」「こうつくらなければいけない」という固定概念があったんです。

でもそんなことは全然なかった。むしろ、フランスではシャルキュトゥリーは「日常食」であり、日本でいうところの、納豆や漬物みたいな感じなんですよ。それがわかった時に、肩肘張ってつくっていた今までがバカらしくなって、もっと自由につくっていいんだと解放された気分になりましたね。なんでもありだから、なんでもやってみようという感じです。

―中川さんのお店「シャルキトゥリー モエ」をオープンするまでの歩みも教えてください。

1年間、フランスで修行をして帰国。その後、紀ノ国屋のプライベートブランドの食肉をつくる工場で働きました。ただ、自分のお店を持ちたいというのは、飛騨高山のお店で修行していた頃から思い描いていたので、紀ノ国屋で約4年間勤めた後に、東京・東久留米市に「シャルキュトゥリー モエ」をオープン。2010年、29歳の時です。

“生ハムは1年先まで、味の良し悪しがわからない。味を確かめる時は、毎回、期待と不安が入り混じります。”

―ハムの製造工程や種類などわからないことが多いので、簡単に教えていただけますでしょうか?

取り寄せた肉の塊「枝肉」をまずは処理します。骨がついているので、骨を抜いて部位ごとに分けるんです。そしてその部位に適した商品にしていきます。例えば、バラ肉だったらベーコン、ロースだったらロースハム、残った肉はウインナーやサラミなど。うちの場合、商品の種類は最大で50種類あって、その中からお店に並べる30種類を決めます。もちろん新商品もつねに開発しています。


また一口にハムといっても、大きく4つのカテゴリーに別れるんです。加熱をしたものが、ロースハムとウインナー。非加熱のものが、生ハムとサラミです。生ハムの場合は、大体30日〜40日程度塩漬けにして、その後、吊るして1年間、熟成させます。味の良し悪しがわかるのがだいぶ先になるので、新しい試みをした商品なんかは、どんな風に熟成されているか、毎回、ドキドキしますね。

“やさしくて、奥深い味が「モエ」の個性です。”

―中川さんがつくるハムの特徴も教えてください。

これは、「モエ」のコンセプトでもあるのですが、「やさしい味」であることです。先ほども言ったように、日本ではハムやソーセージの主流はドイツです。ドイツ流の加工というのは、インパクトがあって、一口食べた瞬間にガツンとくる味。また、本場フランスでも、結構、塩気は強いんです。「モエ」の場合、それとは対照的で、口に入れた瞬間、ハムからの訴えは少ない。ただ、食べる人がハムに歩み寄って、探りを入れていくと、だんだんと美味しいと感じられる味なんです。食べることに、集中力が必要なので、面倒くさいかもしれませんが、いろんな料理に合いますし、飽きずに食べ続けていただけると思います。

―どうしてそのような味を目指されたのですか?

紀ノ国屋に勤めていた頃、プライベートブランドのハムが、ドイツともフランスとも違う、ナチュラルな味だったんです。始めは、その味に物足りなさを感じていたのですが、食べ続けているうちに、きっと、日本人の舌に合わせた味付けにしているんだろうな、こういう美味しさもありかもと思えてきたんです。だから自分の店を持つ時は、日本人である僕が、まずは納得できる味にしようと思いました。


“イベント出店や百貨店への営業などで、少しずつ「モエ」の認知度が上がってきました。”

―中川さんはハム職人であると同時に、お店の経営者という側面もお持ちですが、経営者として意識していることはありますか?

たしかに、ハム職人の中川萌と、経営者としての中川萌は別人格かもしれません。ただ、オープン当初は、お客さまを呼び込むための、特別な手立てができていたかというと、全然そんなことはなくて……。ようやくこの2、3年くらいで、売上を上げるための行動が取れるようになった気がします。例えば、積極的に地域のイベントに出店したり、百貨店などに営業をかけたりと。お祭りなどのイベントに出すと、そこでの売上はもちろんですが、「モエ」を知らなかった方が認知してくれる機会にもなるので良いことしかありませんでしたね。

“悩み、悶え、苦しみながら、試行錯誤を繰り返し、いつか、職人として「究極」になりたい。”

―お仕事をしていて感じる喜びはありますか?

ベタな話なのですが、やっぱりお客さまから「この前買ったハム美味しかったです!」と言っていただけたときは嬉しいですし、ホッとします。僕は、つねにつくる商品に対して「本当にこれでいいのだろうか?」という葛藤があるんです。自分が感じる「良い」と他人が感じる「良い」って違うことがあるじゃないですか。だから、もちろんこだわりと自信をもってつくるのですが、お客さまの声を聞くまでは、心からは安心できないんですよね。

あと、喜びとは少し話はそれますが、常連さんがお店に通ってくれているかというのは、お店を経営していく上で大事にしているひとつの指針です。お客さまの事情で来られなくなってしまったというのは仕方ないと思うのですが、そうではなく、こちらの不手際や、味に満足していないために、「モエ」に来なくなってしまったという状態がもし現れたら、気を引き締めなければならないと考えています。ただ、今でもオープン当初から通ってくださる常連さんが何人かいるので、ありがたいですね。

―職人人生はまだまだこれからだと思うのですが、最後に、今後の夢をお聞かせください。

職人としては、「究極」になりたいんです。死ぬまで試行錯誤して、歳をとって人生をある時点で振り返ってみた時に、「だいぶ遠いところまで到達したな」と思える状態になれていたら幸せですね。経営者としては、今は1店舗の「モエ」を、多店舗展開していくことが目標です。これは、少しで多くの人に「モエ」の味を知ってもらいたいという願望もあるのですが、単純に、お店を増やすってわくわくするので、楽しみながらもっと上を目指していきたいですね。

 

 

◎「シャルキュトゥリー モエ」のWEBサイトはこちら

 

〈取材・文:寺門常幸/撮影:宇佐美亮〉

 

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