ジャーナリスト

多様な価値観を受け入れ、心の豊かさを取り戻すために。モビリティから、人と社会の幸せを考え続ける。

モビリティジャーナリスト 楠田 悦子 (くすだえつこ)

Profile
兵庫県生まれ。高校、大学時代にスイスに留学。スイスの心の豊かさ、価値観の多様性に惹かれる。大学卒業後、自動車新聞社に記者として就職。モビリティビジネス専門誌「LIGARE」初代編集長を経て、2013年にモビリティジャーナリストとして独立。「東京モーターショー2013」スマートモビリティシティ2013編集デスク、西宮市都市交通会議の有識者委員、自転車の活用推進に向けた有識者会議の委員。自治体の地域交通や国の有識者会議委員、講演、プロジェクトのコーディネーター、プロモーションツールの作成など、活動は多岐に渡る。

「モビリティ」という単語を聞いて、あなたは何を連想するでしょうか?多くの人は「クルマ」や「乗り物」と答えるかもしれません。今回、ご紹介する楠田悦子さんに「モビリティ」の意味を聞くと、「人間を主役として交通を考えること」と答えてくださいました。何を隠そう彼女、モビリティジャーナリストという、ちょっと珍しい肩書きで活動されているのです。学生の頃、スイスに留学し、多様な価値観を認め合い、一人ひとりが心豊かに暮らしている部分に惹かれて帰国するものの、日本のあまりに閉塞的で生きづらい空気感に逆カルチャーショックを受けたんだとか。そんな経験から、日本の社会を少しでも良くしたい。幸せのあり方を根元から追求したいという使命感を抱き、「モビリティ」を通じて、その解決策を見つけ、実行するために挑戦し続けています。スイスで得た経験や、会社員時代の話、そしてモビリティについて、楠田さんにお話していただきました。

 

“地方独特の閉塞感、画一的な価値観。日本社会の生きづらさを幼い頃から感じていたように思います。”


― まずは、楠田さんがモビリティジャーナリストという肩書きで活動するまでのことをお伺いしたいのですが、小さい頃はどのような環境で育ったのですか?

兵庫県・姫路市から北に向かって車で1時間ほどの加西市というところで生まれ育ちました。田畑と山に囲まれ、親類や近所付き合いも色濃く残る地域でしたね。祖父母、父母、それに姉の3世帯で暮らし、母方の祖父は市議会議長を長年務めていました。学校の卒業式や入学式などでは、祖父が来賓として出席していて、私も“議員のお孫さん”として周りから一目置かれていたような気がします。母にも「議員の孫としてしっかり振る舞いなさい。社会に貢献できる人間になりなさい」とよく言われていました。そのせいか学校の勉強は真面目にしていて成績もよかったですし、学級委員長もしていました。いわゆる優等生だったと思います(笑)。


あと今の私を形成する一因としてあげるとしたら、姉の存在は大きいかもしれません。姉は先天性の重症心身障がい児でして、高校までは養護学校や病院に通っていました。送り迎えの時や家族で外出した時などは、周りから奇異な目で見られることがありましたし、姉が18歳で施設に入ってからは、施設内での障がい者の扱いで少し疑問を抱くこともありました。今はだいぶ変わってきていると思うんですけどね。

“どんな境遇の人間でも個人を尊重する。日本とは180度違うスイスのお国柄に驚きました。”


― 育った環境もあって、子どもの頃から社会や世間に対して違和感を抱いていたのですね?

そうですね。高校3年生の時に1年間スイスに留学したことで、日本社会に対する違和感はより明確なものへと変わっていきました。スイスは日本とは何もかもが違っていたんです。教育システムやジェンダー、家族のあり方、宗教観、生活習慣、働き方、そして障がい者に対する意識など。月並みな言い方ですけど田舎の箱入り娘にとってはすべてがカルチャーショックでした……。姉と同じような重度の障がいを持つ方でも、一人の人間として尊厳を大切にされていると感じました。

― 根本的に日本とは違ったと。そうなると留学期間中は大変でしたか。

はい、かなりしんどかったです。日本人は私以外にいないし、スイスは4ヶ国語を話す国。私のホストファミリーは主にドイツ語を喋る家族でした。でも純粋なドイツ語ではなく、スイス語とドイツ語が混じった、なまりのキツイ言葉で、最初は何を言っているのかほとんどわかりませんでしたね(笑)。それでも毎日、分厚い辞書を片手に必死にドイツ語を学んで、なんとか現地の環境に適応するために努力したんです。1年という期間だったので、ドイツ語をペラペラに喋るまでにはいきませんでしたが、スイスの文化や風土、価値観には馴染んでいきました。ただ、順応したことで帰国後かなり苦労するんです。

―といいますと?

スイスの価値観が当たり前になりすぎて、帰国後、日本の文化や風習が受け入れ難くなってしまったんです。逆カルチャーショックですね。形骸化した受験システムやジェンダーに対する意識の遅れ、人生の意味を問わない国民性など、日本のあらゆることに違和感を抱くように……。不安定な精神状態から抜け出すために、大学時代は、カンボジアのNGOに参加したり再びスイスに留学したりと、異国の価値観を吸収し、自己を形成していきました。ただ二つの海外経験を経て、あらためて自分を見つめ直した時に「私は自分の生まれ育った日本という国で何か貢献したい」「一人ひとりの幸せを軸に社会を再構築していきたい」という想いが湧いてきたんです。

“「自動車新聞社」に就職。国土交通省や自動車業界を取材したり海外へ視察に行ったりと、記者として精力的に動いていました。”

― 「日本社会を良くしていきたい」という高い志を持って就職活動に臨まれたのですね?

みんな同じリクルートスーツを着て、エントリーシートを書いて、面接してという画一的なやり方は、どうしても合いませんでした。ですから、「就活」はせずに地域調査のアルバイトに励んでいました。そして、そこで知り合った方に「新聞社で求人が出ていたよ」と教えてもらうんです。それが「自動車新聞社」でした。整備・物販・製造・貨物・旅客など乗り物全般の記事を扱う業界紙。当時の時代背景として若者の〇〇離れが叫ばれている頃で、クルマ離れ世代にあたる私の声を取り入れたいというニーズがあり記者として採用されたんです。クルマの知識はまったくなかったですが、地域で活躍する人を紹介できたり、その人とつながることで新しい何かが生まれたりするのではないかと期待感を持って入社したのを覚えています。

― 「自動車新聞社」ではどんな仕事をされていたんですか?

業界紙では、国土交通省や業界団体の動向を取材・調査して記事にすることがメインでしたが、私がとくに思い出に残っている仕事が「LIGARE(リガーレ)」という雑誌を立ち上げ、編集長として活動したこと。海外の移動手段や街と人との関係などを紹介していきたいという想いのもと、雑誌のネーミングやコンセプトの立案、さらには誌面構成・誌面内容までを私主導で作っていきました。2012年前後は自転車シェア、カーシェアなどが始まった頃で、欧州事情を取材するためにパリやドイツを度々訪れていました。

会社から命じられたわけではないけれど、欧州を直接見て、生の声を聞いて、調べた方が絶対に面白くなるという確信があったので、まったく苦ではなかったですね。むしろ多忙な中でも充実感を得ながら働いていたように思います。そして、海外への視察を重ねるなかで「なぜ日本の公共交通は、すべての人の暮らしを支え、利便性を向上させることに寄与しないのか」という疑問ともどかしさは膨れ上がっていきました。学生の頃に感じていた“日本の違和感”はここでも消えることはなかったんです。

“「モビリティ」はあくまで手段。根本のテーマは、モビリティを通して、社会をいかに良くしていくか。”


― 「自動車新聞社」に勤められた後にフリーランスとしての活動がスタートするのでしょうか?

結局、自動車新聞社には丸3年勤めました。自主性を重んじられる職場でしたので、いろいろな経験をさせていただいて感謝しかありませんでしたが、自分のこれからのキャリアを鑑みた時に、もっと自由にそして、不安定ではあるけれど自分の頑張り次第で可能性が広がっていくフリーランスの道を選択することに。それで関西から上京したんです。最初は前職でお付き合いのあるクライアントさんとのお仕事をメインにしていましたが、ひとつの「取材」をひとつの「営業活動」と捉え、ただインタビューして終わりでなはなく、「こんどこんなことを考えているんです」といった話が出てきたら「面白そうですね。ぜひ一緒にやらせてください」とか、逆に私の方から「こういうことを計画していて協力していただけませんか?」と巻き込んだりと、取材を通して、次の仕事につなげていきました。もちろんすべてが上手くいくわけではないですが、この意識と行いは今でも大切にしています。

― 「モビリティジャーナリスト」という肩書きも珍しいですよね。これはどのような想いで名付けられたのですか。

簡単に言ってしまうとご縁ですね。もともとクルマには全然興味がなかったですし(笑)。ただ、新卒で入社した会社がクルマなどの乗り物を扱う業界紙でしたので「その経験を活かすには?」と考えた時に「モビリティジャーナリスト」でした。私の根底にあるのは「日本社会がどうすれば良くなっていくか」ということですので、極論をいえば、食でも医療でも教育でもなんでもよかったのかもしれません。「ジャーナリスト」と名乗っているのは、前職が記者だったというのもありますし、ライターとして活動するよりも、いろいろな場所や人、会社にアポイントが取りやすく、話を聞いてもらえるような気はします。今はコンサルティングのような仕事も多くさせていただいているので、時と場合によって変えることはあります。

“日本はモビリティの面では遅れている。だからといって欧州のサービスや考え方を、上辺だけ真似してもうまくいかないんです。”

― たまたまではあるけれど、「モビリティジャーナリスト」と名乗ったことはとても戦略的な気もします。あとずっと気になっていたのですが、「モビリティ」ってそもそもなんなんでしょうか?

日本の場合、自動車メーカーがこの単語を積極的に使っているので、モビリティ=クルマという認識を持っている方もいるのではないでしょうか。でもそうではなくて、「社会をより良くし、暮らしやすくするために、どのように移動手段を活用するか」という考え方こそが「モビリティ」。だからクルマだけではなく、自転車もタクシーも公共交通機関も、歩行も、すべてが手段の中に含まれるんです。


例えば、今日本だと高齢者の免許返納問題がありますよね。事故を防ぐだけであれば一定の年齢に達した高齢者は免許返納を義務にすればいいかもしれないけれど、地方ではクルマがないと生活できない場所がほとんど。人の移動手段を奪い、生活の質、ひいては人間の尊厳までも奪いかねません。では、クルマに代わる代替手段をどうするのか。街の在り方から考え、企業や行政と手を取り、解決策を考え、実行することが求められるんです。

― ただ取材して記事を書くだけではないんですね。今、お話に上がった免許返納問題もそうかもしれませんが、日本におけるモビリティの課題を教えてください。

たくさんあるのですが、やはり移動手段がクルマに偏りすぎていることですね。自動車産業が高度経済成長期を牽引し、世界に誇る自動車メーカーがたくさんあることは素晴らしいのですが、地方を中心にクルマがないと生活できない場所がたくさん存在していますよね。移動の連続性がなく、住民の生活の質の向上を考えて、福祉、住宅、都市計画、産業などが連動した分野横断的になっておらず、非常に生活がしにくいのは深刻な問題だと思います。


ただ絶望的な状況かというと一概にはそうともいえず、公共交通機関がなくなった地域での代替移動手段として、買い物や病院への送迎をサポートするボランティアタクシーという取り組みが地方自治体によっては行われはじめています。日本の文化や価値観、日本の街づくりに合ったモビリティを模索する必要があります。

― やはりその辺り、スイスは成熟しているのでしょうか?

EU諸国平均の3倍といわれるほどスイスは鉄道大国です。観光列車だけではなく日常生活の移動もとてもしやすい国。鉄道、バス、トラム、BRT、湖の船など。15年前にはすでに乗り換えを一元検索できるシステムができていました。年間パスがあれば切符を購入する必要はないですし、改札すらありません。駅は徹底したユニバーサルデザインが施され、低床車両のバスも当たり前。また人口密度の低い地域でも最新の鉄道やバスが乗り入れています。これらは日本では考えられないですよね。他国よりも安全、便利、快適で、定時性などの面でも質が高く、日本がめざすべき公共交通のあるべき姿がスイスにはギュッと詰まっています。


加えて、欧州では高齢者や障がい者のお出かけ事情もずいぶん異なります。日本だと、都市部、地方部に関わらず、歩行が困難な障がい者や高齢者を街であまり見かけないと思うのですが、欧州では街なかで電動カートなどに乗り、昼下がりに楽しそうに友人と過ごしている風景をよく見かけます。というのも欧州は個人主義で、あらゆる前提として個人の自由と平等を尊重し、できるだけ健常者と同じように住まいや暮らしを提供しようという意識があります。日本は欧州からたくさんのものを輸入してきましたが、こと思想や意識の面では上辺だけを取り入れていて、日本人はその考えを自分たちのものにできていないと考えます。

 “その街に適した移動手段を組み合わせたサービス、すなわちMaaSを成熟させていくことが、これからの日本には必要です。”


― 楠田さんが最近、力を入れているモビリティのテーマを教えてください。

MaaS(Mobility as a Service/マース)ですね。日本語でいうと「サービスとしてのモビリティ」「モビリティのサービス化」。要は、クルマ主導ではなく、電車、バス、タクシー、シェアカーなどさまざまな移動手段を組み合わせ、どんな地域でも人々が暮らしやすい環境を実現していくための概念と考えていただけるとわかりやすいかもしれません。そのためには、各移動手段の予約や運賃の一元化、システムの構築といった技術的、制度的な課題もありますが、単純に移動手段の組み合わせを考えるだけでなく、利便性を高めた先に、人々がどのような暮らしができるのか、どのような幸福が手に入るのか。そこまで考える必要があります。


2018年1月にはトヨタ自動車の代表豊田氏が「トヨタはクルマ会社を超え、人々のさまざまな移動を助ける、モビリティカンパニーへと変革していく」といった発言もされています。私自身、国土交通省の「自動車活用推進に向けた有識者会議」委員に選ばれ、モビリティジャーナリストとして、政策の提言をさせていただいたり、出される施策に対して意見を伝えたりしていて、モビリティにおけるサービスは今、間違いなく分岐点を迎えていると肌で感じています。

“モビリティの課題解決は長期戦。だからこそ、日々、勉強を重ねて、どんどん挑戦していきたいです。”

― 国土交通省の有識者にも選ばれているのですね。では自治体や企業などを相手にする機会もあり、一筋縄ではいかないお仕事も多そうですね。

簡単な仕事は一つもないかもしれません(笑)。今はコンサルティング的なお仕事もかなり増えていて、とくにMaaSに関わる仕事ですと、企業、自治体、機関投資家などさまざまなステークホルダーが関わってきます。どんな立場の人にも理解していただけるような資料を作る必要がありますし「社会を良くする」と口でいうのは簡単ですが、企業や投資家の方の賛同を得るためには、提案する施策がどう利益を生み出すのかといったメリットも提示しなければなりません。だから、本当に毎日が勉強(笑)。経営的な視点を持つために、今は経営大学院に通って国内MBAを取得するために頑張っています。

―とても行動力と向上心がありますね。

どうなんでしょう(笑)。会社に属しているわけではないので、自主的に学び続けるように意識はしているかもしれません。単純に勉強しないと経営者の方などとは対等に話せないので、仕事にならないという危機感もあるんですけどね。ただ、テキストを読んで情報を吸収してという勉強も大切ですが、やっぱり私はジャーナリストという意識が根底にはあるので、現場に行くことは忘れないようにしていたいです。


昨年も1ヶ月間海外に行き、モビリティ事情を視察してきました。スイスではSBBという国鉄会社に自分でアポイントを取って取材もできたんです。我ながら成長したなと思いましたね(笑)。やっぱり最新の海外の動向は情報としては知っていたけれど、実際にこの目で見て、感じてくると、私の中で腹落ちした情報になるので、人に伝える重みというか説得力が違ってくるんですよね。

―楠田さんのお話をお聞きしていると、使命感を持って動かれているようにも感じます。

私が小さい頃から感じてきた“日本の違和感”。これをなんとかしたいとはずっと考えているかもしれません。私はスイス留学から帰ってきてずっと日本に馴染めずにいました。器用な方ではないので、地道に努力してきたことで、少しずつ頭の中を整理できるようになりましたし、自分のモヤモヤした心と折り合いがついてきたようにも思います。ようやく大人になったのかもしれません(笑)。今はモビリティという分野の中で、たくさんの仕事をさせていただいています。でも、課題を投げかけたり、施策を提案したりするだけでなく、それを実行に移すことで、日本の社会を良くしていきたいです。もちろん一朝一夕ではいかないので困難の連続だとは思います。でも、辛抱強く、愚直に、どんどんトライしていきたいですね。

 

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〈取材・文:寺門常幸/撮影:宇佐美亮〉

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