ブックデザイナー

「私のもとに来てくれた本は絶対に幸せにしたい」。そんな想いで、一冊一冊、大切に本と向き合っていく。

ブックデザイナー 小川 恵子 (おがわけいこ)

Profile
広島県出身。大学卒業後、エディトリアルデザイナーとしてデザイン事務所に勤務。2005年から2010年までアートディレクター青木康子氏のもとで主に広告デザインの仕事に携わる。その後、本の装丁を手がけるデザイン事務所に勤務の後、2014年、ブックデザイナーとして独立。「瀬戸内デザイン」という屋号を掲げ、小説、実用書、雑誌など多くのジャンルのブックデザインに携わっている。日本図書設計家協会会員。[実績]日本タイポグラフィ年間2014入選

あなたにとって本とは、どんな存在でしょう。物語の世界に入り込んで、日常を忘れさせてくれるもの。知的好奇心を満たし、視野を広げてくれるもの。新しい方法を吸収し、成長の糧になるもの。本によって、投げかけてくる気持ちや考え、価値観が千差万別なのも、本の大きな魅力といえるかもしれません。「瀬戸内デザイン」という屋号を掲げ、フリーランスのブックデザイナーとして活躍する小川恵子さん。思い悩んだ大学時代に自身の背中を押し、引き上げてくれたのが、本だったそうです。会社員としてのデザイナー勤務を経て2014年に独立。「自分のもとに来てくれた本は絶対に幸せにしたい」という想いを持ちながら、本と誠実に向き合いデザインをする小川さん。そんな彼女に、学生時代のこと、フリーランスになるまでの歩み、本作りに対する考えなどを伺いました。

 

“予備校の現代文の先生に影響されて本を読むように。でも何を感じたらいいのか分かりませんでした。”


―小・中学生の頃はどんなお子さんでしたか?

身体が弱かったこともあり、絵ばかり描いている子どもでしたね。4歳から10歳くらいまでは絵の教室にも通っていました。ほとんどの習い事は続かなかったのに、絵の教室だけは楽しくて。絵と向き合っている時は夢中になれて幸せでした。でも一方で、読書はあまり好きじゃなかったんです。毎日本ばかり読んでいる従兄弟がいて、それを間近で見ていて「本好きってこういう人を言うんだな」と思っていました。


―今は本のデザインをされているのに、昔は本が好きじゃないというのは意外でした(笑)。変わるキッカケはあったのでしょうか?

高校時代に予備校に通っていて、現代文の先生の授業が面白かったんです。印象に残っているのが、「この文章と同じことを言っている部分を本文中から抜き出しなさい」というような問題があって、私の回答は不正解でした。でも先生が「本文のこの部分を抜き出した人も正しいです」って教えてくれて、それが私の回答した箇所だったので「そんなことってあるんだ。答えってひとつじゃないんだ」って発見があったんです。

先生は「本を読むといいよ」と常々おっしゃっていて、そこから本に興味をもつようになりました。そしてある時、授業で勧められた村上春樹の『羊をめぐる冒険』を読むことに。ただ、読んだのはいいのですが、何をどう感じればいいのかがちっとも分からなくて(笑)。先生にもその話をしたら「今はそういう時期と思って、分からないままを受け止めれば大丈夫」とアドバイスされ、その後も分かったり分からなかったりを繰り返しながら、次第に読書をするようになっていきました。


“学校に行けなくなってしまった大学時代。救ってくれたのは、本でした。”

―大学時代はどう過ごされたのですか?

実家のある広島を離れ私立大学に進学。ただ浪人したのにも関わらず、希望の大学には入れなかったんです……。母と祖母の3人家族で、私のために色々お金をかけてくれたのに、期待に応えられなくて申し訳ない気持ちで一杯になってしまい、入学して早々、大学に行けなくなってしまいました。なかば引きこもり状態。毎日、ひとりで部屋にこもっていたのですが、ふと本棚にあった小説を手に取りました。予備校の先生が勧めてくれた本でした。ゆっくりページをめくっていくと、スポンジが水を吸収するように言葉がどんどん私の心に染み込んできて、高校時代には「?」でしかなかった風景描写や登場人物の心の機微が理解できるような気がしたんです。

それ以来、むさぼるように読書にふけりました。誰かが深いところまで潜って掴んでくれた言葉というのは、私の心の深い部分ともどこかで繋がっていて、気持ちを掬い上げてくれる。暗闇の中で遠くに灯が見えた気がしました。そして私は、本を読むことで、価値観や考え方を広げていけたように思います。物語を通して、自分という人間と初めて真剣に向き合えた時期でした。そして、受験に失敗して落ち込んで大学に行けなくなってしまったのは、やりたいことができない悔しさではなく、親や親戚、先生など周囲の目を気にするあまり、恥ずかしくなっていたんだとわかったんです。不登校になって1年が経っていましたが、残りの学生生活は自分の好きなこと、得意なことを見つけられればそれだけで合格。もう世間体は気にせずに突き進もうと決めました。

“安西水丸さんが手がけた本を見て、「ブックデザインがしたい!」と強く思うように。”


―小川さんの「好き」は、「本」ということになりますよね?

そうですね。ただ、自分の好きなことって何だろうと考えてもすぐには答えがでなくて。行き詰まったある日ふと部屋を見渡してみたら雑誌や本に囲まれていて、はじめて「これかも」と意識しました。それからは、もっと本のことが知りたくて書店でアルバイトを始め、本のたたずまいやデザインに特に魅力を感じているのに気づきました。


そして好きな本に関わる仕事で自分に何ができるかを考えた時、私が得意なのは、やはりビジュアルに関係することだと思いました。子どもの頃から絵を描いてきて、自分が何か表現するよりも何かを伝える手段としてのデザインの方が向いているように感じたんです。最後に決め手となったのが、本屋さんで村上春樹の『中国行きのスローボート』に出逢ったこと。表紙はイラストレーターの安西水丸が手がけていて、その文庫本を目にした時に、言葉では説明できないけれど「私はこれがしたいんだ!」と強烈に思ったんです。


“尊敬するアートディレクターのもとで働き、考え抜くこと、常識を疑うことの重要性を実感。”

―大学を卒業されてからの歩みを教えてください。

新卒で雑誌のデザイン事務所に就職。いわゆるエディトリアルデザイナーという職種です。会社では私が一番年下だったのでアシスタント的な仕事も多かったのですが、それも本作りの一部だと考えると嬉しくてたまらなかったのを覚えています。雑誌を制作する一連の流れや専門ソフトの使い方など基本的なことも一通り学ばせていただきました。その後、広告業界で活躍されているアートディレクターの青木康子さんのもとで働くことになります。ブックデザインとは少し離れるかもしれないけれど、青木さんが手がける広告はとても強さがあって惹かれていたので、彼女の考え方やスタンスを吸収したいと思いました。

―青木康子さんと働かれて、何を得られましたか?

青木さんと働く以前の私は、デザイナーだけどデザインができていなかったんだと痛感させられました。体裁を整えたり見映えをよくしたりすることがデザインだと考えていたけれど、それはデザインの本質ではなかった。手を動かす前に、この商品の魅力や課題は何なのか、自分が考えたアイデアで本当に問題は解決できるのかを徹底的に考え抜くこと、そして常識を疑うことを叩きこまれました。いつも青木さんに「それは誰が決めたの?」「それは本当に正解なの?」と投げかけられて、その度に立ち止まって思考しました。思考を重ねることでアイデアの強度は確実に上がっていき、人の心を動かす広告になる。しんどかったですけど、デザイナーとしての幹を作るためには、絶対に必要な経験でしたね。

―青木さんの事務所ではどれくらい働かれたんですか?

約5年在籍しました。青木さんは仕事では厳しい面もありましたけど、作るものは本物でした。だから信頼していましたし、充実感を持って働いていました。でもブックデザインをしたいという気持ちを捨てきれなかったんです。それで、迷いはありましたが思い切って本の装丁を手がけているデザイン事務所に転職。2010年のことです。「本」を扱うことは、やっぱりしっくりくる感じがあり、喜びを噛み締めながら働いていました。


ただ一方で、多くの書籍を手がけるうちに、「売れる」と「売れない」の違いに悩まされるように……。「売れる」ことの大切さは頭では理解していましたが、「売れなければ意味はない」という考えで突き進むことに苦しさを感じていました。このままでは大好きな本が嫌いになってしまうかもしれない。そんなタイミングで大きな転機となる出来事が起こったんです。


“祖母の死をきっかけに、本当に大切なものを、きちんと大切にして生きていこうと気づいたんです。”

―大きな出来事とは何だったのですか?

広島に住む祖母が亡くなったことです。ずっと祖母の介護に全力を注いでいた母は、抜け殻のようになってしまったんです……。私自身も失意の中、どうしたらいいんだろうとおろおろしていたのですが、そんな時に生前、祖母が母に対して「なにか夢はないの?」と聞いていたのを思い出しました。それに対して母は「世界中を旅行してみたい!」と言っていて、祖母がいなくなって初めて、それを叶えるのは私しかいないじゃないか!とハッとさせられました。今までは自分本位な考えで生きてきたけれど、本当に大切なものをきちんと大切にしていかないと後悔する。そこで腹を括ったんです。祖母の喪が明けてから会社を辞め、2014年にブックデザイナーとして独立を決意。会社員の頃に比べて時間にも融通がきくようになったことで、年に1、2回は、母と海外旅行にも行けるようになりました。

 

“ブックデザイナーとして独立。本が出会うべき人に出会ってくれるように、目の前の一冊一冊と誠実に向き合っていきたいです。”


―ブックデザイナーとして独立されて、仕事に対する考えは変わりましたでしょうか?

祖母が亡くなって芽生えた「大切なものをきちんと大切にしたい」という気持ちは仕事にも影響を与えました。自分はどんなブックデザインをしていきたいのか改めて意識するようになりました。ブックデザインという仕事は、仕立て屋がその人に合った服を仕立てるのに似ていて、本の内容に合わせて“本というカタチ”を作っていきます。街で身体に合った服を着ている人を見かけると、容姿に関わらず惹きつけられてしまうことがありますが、本にもそれがあると思うんです。まずはその人のことをしっかり理解しないと作れない服。サイズがぴったりで、縫製や柄合わせが丁寧で、その人がその人のまま、のびのびとしていられる服。私はそういうブックデザインをしていきたいです。そのうえで内面の魅力が滲み出たような“遊び”がある本を目指しています。そのことを意識してからは、より目の前の一冊一冊を大切に、そして誠実に向き合うようになりました。私のもとに来てくれた本は「絶対に幸せにするぞ!」と想っています。

本はたくさんの人の手を経て出来上がります。その中で私が関わるのはごく一部。私の仕事は多くの場合、編集者さんから依頼をいただき、文章が紙に印刷され束になった「ゲラ」を読むところから始まります。その時にいつも心がけているのは「自分が受け取ったイメージを大切にすること」。そして「それがすべてだとは思わないこと」です。また編集者さんやイラストレーターさんとやり取りする際、できるだけ正直な意見を伝えるようにしています。逆にデザインに関して自分とは異なる意見をもらった時は、一度受け入れて、考え、再度手を動かしてみます。それによってより強いデザインが生まれることも多いです。本の魅力は、たくさんの人が関わるところにあると思っていて、やりとりの中から生まれるものをとても大事にしています。

―最後に、昨今の活字離れや出版不況について、小川さんの考えをお話してほしいです。

たしかに出版不況なのかもしれません。でも一方で活字離れってほんとうかな?と疑問に感じています。本を必要としている人はどんなに時代が変わってもいると思うんです。つらいことがあったとき、書店にふらっと入って棚を眺めながら歩いていると、これだけの数の本があって、いろんな考えや物語が存在していて、私はもっと自由でいいんだと気持ちが凪いできます。そして、ふっと目に入ってくる本に出会うことがある。そういう本は自分のために書かれたものではないのに、自分のためだけに書いてもらった言葉のような気がします。


ネットでも同じような出会いはあると思うのですが、本は、著者だけでなく、編集者、校正者、印刷・製本所、紙屋さん、それから書店員さんなど、たくさんの人がその言葉を受け止めた上で存在しています。その言葉を肯定し、存在させるために関わった人がたくさんいる。その事実に励まされるし、そういう本のもつ力を信じています。息苦しさを感じる時代だからこそ、本に出会う人が増えて欲しいなと思います。今も書店にはいい本がたくさん並んでいます。ぜひ行ってみてください。そしてもし気になった本があれば手に取ってみてください。私が目の前の一冊一冊を大切にデザインすることで、いつかその本を手にしたあなたが、まるで自分が大切にされているかのように感じてくれたなら、これ以上の幸せはありません。

 

 

◎小川さん(瀬戸内デザイン)のWEBサイトはこちら

 

 


〈取材・文:寺門常幸/撮影:宇佐美亮〉

 

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